【文庫レビュー】又吉直樹の「劇場」について

又吉直樹の「劇場」を読む

denkikanで公開中の又吉直樹原作、行定勲監督作品の「劇場」。

https://gekijyo-movie.com

26日(日)の最終回に行定勲監督が舞台挨拶に来ると聞いた。

別用があり、26日の最終回は観ることが出来ないのでそれまでに観ておきたいと思い、25日(土)の最終回を狙う。映画を観る前に原作を読んだ方が、比較が出来てより深く観ることが出来るのでかけこみで原作を読む。又吉直樹は「火花」で芥川賞を獲ったが「火花」は未読。今回、初めて読んだ。

他の作品を読んでいないからはっきりしたことは言えないが、彼は、人と人の違いをしっかりと描きたいと思っているのかもしれない。衝突を避けず、お茶を濁さず。違いを違いとして提示している。実際、人はこんなにストレートに対立しないかもしれないと思ったけれど、とても親密な人同士ではしているかもしれない。対立の結果がハッピーエンドではないにしても、対立の先のより豊かな関係を志向しているようにも感じられ、好ましく思った。

この原作を行定勲監督がどう料理するか。監督は「リバーズ・エッジ」でドロドロした人間の奥底の感情を描いていた。楽しみ。

 

蜩窯でヂェン先生の美しい日常着 展の打ち合わせ

http://higurasigama.com

みふねデコボコ会の上田さんと、チームデコボコ手芸部のチエコさん、カヨさんと。

これまでデコボコ会で作ってきたフェルトのアップリケは秋・冬の服には合うかもしれないけれど、春・夏の服には合わない。糸の番手も合わない。

今回対応で、春・夏の服に合うような麻を充てた仕様で作ってくださることに。ありがたい。デコボコ会メンバーのモデル写真撮影も事前にしてくださることに。色々とお手間をおかけしてしまって申し訳ないけれど、みなさんの熱量で今回の展示会はとても良いものになりそう。私も楽しみながらがんばります。

今回のテーマは「百人百色」

 

熊本市現代美術館 「谷川俊太郎 展」

https://www.camk.jp/exhibition/tanikawashuntaro/

やっと行けました。

現代美術館の展示スペースは毎回パーテーションの仕切り方が変わっていていつ来ても新鮮。

活版印刷風のタイトルからも一字一字を時間をかけて選び抜いていることを思わされる。音と映像を使った最初の部屋。詩の言葉が映像になった時、どういう感触に変わるのか。とても面白い。言葉遊びの面白さ。

次の部屋は自己紹介。今回のメイン展示。チラシにも掲載されていた自己紹介の詩が全面展開された部屋。言葉の海。消化不良で食傷気味。ただ、この体験の記憶は残っていて、波が打ち寄せては返すようにこれから何度も記憶が明滅して、いろいろな回路がつながってくるだろうという予感あり。寝かせておこう。

俊太郎さんの仕事をダイジェストで紹介しているもので、自伝のようにも感じられて、途中で何度も俊太郎さんが既に亡くなってしまっていて、これは追悼展なんじゃないか?という感覚がちらついた。

オープンスペースで演奏されていた「野ばら」もなんとなくその気持ちに拍車をかけた。

会場の至る所にしかけられたのぞき穴も面白く。穴の先の言葉を探してしまった。思えば、全ての言葉は谷川さんの穴(目とか鼻とか口とか色々)を通してインプットされた情報が谷川さんの穴(口とか)から出て来て僕たちにもたらされた言葉たちで、それはある意味谷川さんの穴(タニカワチューブとでも名付けようか)を通して見せてもらった様々な言葉の貌なのかもしれない。最後の穴の先に書かれた文字が突き刺さった。「言葉の先にも言葉がある」(私の意訳です。悪しからず)。この文章を書いていてシェイクスピアがちらついた。

88年の年譜の中にツッコミ所が沢山あったけれど、特にアプリ「谷川」にはヤラレタ。詩を釣って遊ぶだって?自分の名前でさえ遊んでしまう。まだまだこの世界で遊べることを教えてもらいました。